■人々の波はラームカムヘーン大学へ
ロイヤルホテル前のラーチャダムヌーン通り交差点から、焼けた税務局の脇のジャオファー通りに向かい、“戦場”を囲んでいるフェンスから出る。国軍兵士がいたが、誰何されることはなかった。検問対策にロイヤルホテルの鍵をもってきたが、それは無駄となった。
道路閉鎖の影響でずいぶんと迂回して走るタクシーに乗って都心に戻ると、まるで何事もなかったように、いつものバンコクの喧騒がそこにあった。しかし、よく観察すると、交差点の信号や交通警官詰め所がかなり破壊されている。
テレビを見てびっくりした。ラーチャダムヌーン通りで、「放火をしようとして」負傷し、逮捕された市民が病院で警察の質問に答えているのだが、何と「ウィラ(ムシカポーン)から金をもらってやった」と言っている。「ガソリンを運んだ」オイル缶も、然もありそうに画面に登場していた。
ウィラは新希望党の中堅議員。“学生革命”世代で、かつて連帯党議員時代に選挙演説の内容が不敬罪の適用を受け起訴された経歴をもっている。つまり、不敬罪で起訴された過去をもつ人物が市民たちのスチンダー首相・民主主義要求運動背後にいたことにすれば、国民にそれへの不信感を高めることができる、と当局は考えたらしい。
しかし、荒唐無稽、ヤラセの臭いがプンプンするこの逮捕者の“自白”を信じる人間は幸いなことに少数だった。そのときには、タイの市井、とくに口コミ・ネットワークが発達している首都バンコクの市井は、電波メディアの偏向報道をほぼ完全に見抜いていたからである。
19日午後4時すぎ、プラトゥーナム地区で市民たちが再びデモ、という情報。かけつけてみると、多くが若い学生で、ラームカムヘーン大学へ向かっているといった。援護するように、前後にオートバイに乗ったデモ隊がいる。人数はさほど多くなく、そのときは自然散開するのでは、という印象だった。
だが、このデモ隊は後で大きくふくれあがった。そして、19日夕刻から、バンコク東部にあるラームカムヘーン大学周辺が、スチンダー首相退陣・民主化要求運動の市民たちの抵抗の拠点となったのである。
勤労学生が多い同大学周辺は、彼らが住む寮やアパートが密集する大人口過密地帯。夜は人通りが途絶える官庁街ラーチャダムヌーン通りとは、雰囲気がまるで違う。また、イスラム教徒住民が多く、反“お上”的な雰囲気の強い地域。そこに同大学に戻った学生と周辺住民らがバリケードを築いて“解放区”とし、政府当局・国軍と最後まで闘う姿勢を見せたのだ。
19日深夜、“解放区”南端のラームカムヘーン通りとラーマ 世通りの交差点で、市民と国軍が18日早朝から数えて3度目の衝突。死傷者が出た。
5月20日に入り、“解放区”では自主検問が実施され、危険物−−例えばガソリンなどをもった人間がバリケードの中に入って騒いいで、それを理由に国軍の介入を招くことがないように注意していた。
国軍がこの“解放区”を奪取するには、恐いことだが、ラームカムヘーン通りに並行する運河から船に乗った兵士を上陸させ急襲するか、あるいはヘリコプターなどで空からの掃討以外ありえない、と思われた。通常の掃討戦術なら、前述したような特殊な環境をもつ同地区で学生や市民はアパートや民家に逃れて匿われ、イタチごっこがいつまでも続くだろうからだ。
5月20日午後8時、5月のスチンダー首相退陣・民主化要求運動の“熱い季節”が始まって以来初めて「外出禁止令」がバンコクおよび周辺県に出された。市民と国軍の一番激しい衝突となった、18日夜にも取られなかった処置である。主要交差点には国軍兵士が配置され、普段は喧騒の街であるバンコクがまるでゴーストタウンのように不気味に静まり返った。
はたしてその日の深夜、日が21日へと変わろうとしていたとき、ラジオの通常放送が突然途絶え、非常に聞き取りにくい男の声が流れ出した。どの局も同じである。あわててテレビのある家に行き見せてもらうと、その声の主は国王であった。
スチンダー首相、民主化要求運動の実質的中心人物ジャムロン、サンヤー枢密院議長(元首相)およびプレム同議員(元首相)が床に座って国王の話を拝聴している。国王の声が聞き取りにくいのは、恐らく素人が貧弱な民生用ビデオ機器で収録しているからであろう。
「よかった」、という声がテレビを見ていた人々の中から上がった。20日になると、バンコク中に、まだ国軍に隠然とした影響力を行使できるプレム元首相が反スチンダー派の将軍たちを動かし、タイは国軍同士による内戦寸前である、という噂が流れていた。その前に国王が直接介入を行った、という思いがタイの市民の中にはあったからだろう。
いずれにしても、この時点で狭義の「5月の惨劇」は終わった。その後、まだかなりの行方不明者がおり、誕生したチュワン政権は前途多難ながらも、民主主義度という観点では今タイはかつてないほどの実験を試みようとしている。「5月の惨劇」を間近で体験した一在タイ外国人として、この実験をじっくりと見守りたい気持ちである。
(終)