バンコク・ドキュメント

 惨劇と化した5月の3日間 (第25回)

 

 


■惨劇のとき

 5月18日午後11時過ぎ。ロイヤルホテルのロビーの“野戦病院”で、まだ若いインターン風の医師が緑の手術着のまま、拡声器をもって叫んだ。「我々は最後までここに残って治療に当たります。“クリア”で兵士たちが入って来る前に、多分、ホテルの電源が外から切られると思うので、真っ暗になってもパニックを起こさないように」。彼が真剣な表情でそう叫ぶ様子を、白人のカメラマンが写真に収める。緊張したロイヤルホテルの雰囲気を表現するには、うってつけの被写体だからだろう。ホテルの外からは、相変わらず散発的にM16の発射音が聞こえる。

 午後9時前後の最初の発砲から数えて何回いや十何回目かの長い発砲が止んだとき、日本人のフリーランスのビデオ・カメラマンが、息を切らせながらロビーに飛び込んで来た。汗だくの顔を拭いながら、「死ぬかと思ったよ!」。最初はタイ国軍のそばまで行って撮影していたもの、発砲がだんだんと激しくなり、「やばい」と思い走って逃げてきた、という。

 

 

 19日午前零時少し前に、ロビーから引き上げ、ラッキーにも確保できたロイヤルホテルの部屋に入ることにした。タイ人のジャーナリストや若い大学講師たちのグループ5〜6人と一緒にである。もし“クリア”がホテル内にまで及べば、パスポートをもっていようが(顔ですぐわかる欧米人は別だが)、プレスカードをもっていようが、有無をいわさずに拘束されるだろうからだ。しかし、部屋に宿泊している“客”を連行するまではやらないだろう。

 帰りそこねた若者向けファッション雑誌の女性記者や、明日19日には朝一番で講義があるという講師−−このグループは、かつて大学時代に社会問題のサークルや活動に参加していたという線で結ばれている。

 部屋は裏側の新館で、階段の踊り場の窓がラーチャダムヌーン通りに向いているので、通りの一部が見渡せた。少し前に報道陣の“ワッチングルーム”から見たのと同じ恐怖の光景が、相変わらずそこにあった。礫と燃える車で修羅場のようになった同通りを、相変わらず若者たち何人か歩いている。「怖くないのかしら……」、とそこから覗いていた女性がつぶやく。同感だった。こちらはホテル内、さらに部屋の中という数百倍は安全な所にいても怖いと思っているのに……。 

 

 新館の廊下つきあたりの窓からは、西側の王宮前広場方面が見渡せた。しかし、国軍が不気味に待機しているはずの広場の中は、暗くてよく見えない。そのとき、ロイヤルホテル前の道路を、一台の白いタンクローリーが法務省からラーチャダムヌーン通りの方に走っていくのが見えた。通りに伏せている市民たちから喚声があがったのが、ホテルの廊下でも聞き取れる。ラーチャダムヌーン通りにバリケードを作るために、市民が乗っ取った車なのである。見ていた大学講師の口から、「もうやり過ぎだ」という呟きがもれた。

 部屋に入って、とにかくテレビをつける。誰もが、シャワーを浴びる、というような気分ではなかった。テレビ番組自体は変更がなかったが、“特別ニュース”で番組がしばしば中断する。緊張した顔の新入りらしい若い男性アナウンサーが、ラーチャダムヌーン通り周辺にいる市民たちはすぐ解散して家に戻るよう、繰り返していた。

 19日午前1時、ある者はベッドで、ある者はソファーで、とにかく眠りについた。その先何が起こるかはわからなかったが、眠っておかなければかえってまずいという判断があったからである。

 

 

 そして午前5時ちょうど、銃声で目が醒めた。今までの発砲とは違い、銃声が驚くほど“濃い”。M16自動小銃には変わりないのだが、恐ろしい数の銃から弾丸が発射されているのである。時間も長い。今までなら長くて5分間で休止したのが、10分を過ぎてもいっこうに止まない。国軍による最後の“クリア”が始まったのである。18日午前4時過ぎの国軍の最初の発砲と同じく、人間が肉体的精神的に一番疲労している時間をねらっていることは明らかだ。

 部屋の窓からは、ロイヤルホテルの裏門しか見ることができない。なので、部屋に中にいたタイ人ジャーナリストが部屋を出て廊下の窓に外の様子を見に行こうとしたが、皆が戒めた。弾丸は今までのように、ラーチャダムヌーン通りにできた不思議な“袋小路”の奥からだけでなく、王宮前広場かピングラウ橋のたもと、つまり西側からも飛んできているのが明白だったからだ。廊下の窓はその方向にあり、被弾する可能性が高いからだ。

 

 ホテルの裏門が面した路地を、市民が東のタナオ通り方面に逃げ惑っているのが見える。何人かはホテルに逃げ込んだ。しかし、結果的にはホテルの裏にあるスラムに逃げ込んだほうが良かった。午前5時20分。“濃い”銃声が続く中、とうとう国軍兵士がホテルの裏門に現れたからだ。まず門柱にもたれ、自動小銃をホテルの裏庭に向ける。戦争映画ではない。恐怖感で体が戦いた。 

 

(つづく)


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