バンコク・ドキュメント

 惨劇と化した5月の3日間 (第24回)

 

 


■“シェルター”ロイヤルホテル

 ロイヤルホテルのラーチャダムヌーン通りに面した部屋のひとつが報道陣の“ウォッチング・センター”になっていて、そこから宝くじ局前より東側の同通りの様子を見ることができた。その部屋は撃たれないように電気を消してあり、窓に近づくときは壁伝いに歩くように指示される。流れ弾が飛び込んでくることが、充分考えられるかである。

 発砲が止んでいることを確認してから、窓から怖々と眼だけそっと出す。そこにあったのは、まさに恐怖としかいいようのない光景だった。

 5月18日午後9時ごろから始まった国軍による市民に対する発砲は、それからも散発的に襲ってきた。国軍の不可思議な警備布陣によってできたラーチャダムヌーン通りの“袋小路”に入りこんでいた市民たちの多くは、広報局と宝くじ局の間あたりを“最前線”にしている。そして、発砲がある度にある者はそこで伏せ、ある者は発砲から死角になる西の王宮前広場方向に逃げ込んでいた。発砲がおさまると再び定位置の“最前線”に戻って行ったのは、まだ、国軍が“クリア”のための移動しながらの一斉掃討射撃をかけてくる段階ではない、読んでいたからであろう。

 しかし、一部の若者たちは、“最前線”よりももっと先、つまり“袋小路”のもっと奥にいた。窓から見ると、発砲が一時止んだ、放火されて焼けた車や礫で一杯の広いラーチャダムヌーン通りを、彼らがせいぜい数人で堂々と歩いている。タイ国旗を振っている人もいる。狙撃されたらひとたまりもない!

 “最前列”の市民の群れの中にいれば、集団心理で怖さが薄まるかもしれない。なのに、小人数で、先に暗がりには見えないが銃口がこちらを向いているはずの路上を歩いている……−−本当に、安全なホテル内から見ているのに、ぐっと恐怖がこみ上げてくる情景であった。 

 

 

 ロビーに戻ると、“野戦病院”に運びこまれる負傷者、あるいはすでにそこで絶命した市民の数はどんどんと増えていた。そんな雰囲気に、午後10時以降になると、報道陣の中にも引き上げる人が増えた。記者自身は“時代の証人”として残りたかったようだが、社員の安全第一、デスクの「帰れ」という指令には逆らえなかったようだ。

 また、状況がここまで緊張してくると、まだロイヤルホテル南側の道路何本かは封鎖されていないものの、王宮前広場に部隊を進駐させていた国軍がいつ掃討の挟み撃ちに出てきてもおかしくないからである。王宮前広場の部隊は、動き出す気配をまるで見せないだけに、かえって不気味な存在だった。ホテルからは出られても、暗い路地の奥で何があるかわからないからホテルに留まった方が安全だ、という市民もいた。

 結局、活字系メディアの記者はほとんど引き上げ、映像を記録しなくてはいけないカメラマンや電波メディアのクルーが残った。フリーのカメラマンの中には、カンボジアのクロマー(綿の布で日よけ布やタオルとして使える)を首に巻いている人が何人かいた。インドチャイナ報道をベースとしている彼らも、「タイで流血の惨劇」、という報せに急遽飛んできたのであろう。

 

 

 この期になって、初めてロイヤルホテルにやってきたメディアもある。それまで“偏向報道”を続けていた、タイのテレビ局だ。タイの11チャンネルのクルーたちが、同局とわかる服装と器材でロビーに入ってきたときは、そこにいる人々から拍手がわいた。

 それまで“偏向報道”を続けていたタイの電波メディアは、市民たちに攻撃されることを恐れて、スタッフに私服を着せ(タイのテレビ・カメラマンは普通制服を着ている)、家庭用のビデオカメラを担がせていた。つまり、集会やデモに参加した市民自身がその様子を撮影しているようなふりをしながら、取材をしていたのである。しかし、政府の教育テレビ局である11チャンネルと、マスコミ公社の9チャンネルでは、18日から一部で“報道管制”に逆らった報道を開始していた。市民たちはそのことを知っており、拍手となったわけである。

 

 

 ロビー内の“野戦病院”では、相変わらず医師たちが懸命に負傷者の治療に当たっている。重傷者は救急車で、とりあえず中華街外れのバンコク都中央病院に運ばれているようだ。ピングラウ橋が閉鎖されているので、チャオプラヤー川の対岸にあるシリラート病院にはダイレクトには運べないからである。

 血で汚れた緑色の手術用前かけを付けた若い医師が、拡声器をもってロビー内の人々に向かって叫んだ−−「“クリヤ”が始まると、外にいる市民が一斉にホテルのロビーに飛び込んでくる恐れがある。大変危険なので、ドアの後ろの床は誰も座らないで、広く空けておいてほしい。用のない人は上の階に」。

 早速、ロビーにいた人々はロビー奥のコーヒー・ショップから張り出していたテーブルの椅子を全部撤去し、ドアの後ろの床に座っていた人々をそこに移した。ロイヤルホテルの旧館(ロビーの上)の2階から上の階の廊下そして階段は、避難してきた市民たちであふれた。むろん、ホテルの外のラーチャダムヌーン通りには、まだ数千人の市民たちが弾丸に脅えながらも、意を決して留まっていたいたことはいうまでもない。

 

(つづく)


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