バンコク・ドキュメント

 惨劇と化した5月の3日間 (第20回)

 

 


■“王宮前広場へ行こう!”

 「暴徒の首謀者ジャムロンを逮捕」。5月18日の午後、このラジオのニュース速報を家や職場で聴いた、首相退陣・民主化要求運動の市民、また関心を寄せていた人々の驚きは大きかった。


 それは、18日朝、ラーチャダムヌーン通りでは前夜から未明までの緊張が嘘のように解け、市民たちは再び何かが起こるとすれば周囲が見通せなくなる夕方から夜にかけてだ、と読んでいたからでもある。昼間は果敢な報道姿勢をくずさなかった海外マスコミのテレビ取材班などが注視しており、国軍が発砲など無茶な行動に出るとは考えにくかったことがその根拠として大きい。


 よって、前夜からのパンファー橋での警察・国軍との対峙、ラーチャダムヌーン通りでの座り込みに疲れた彼らは、再び夕方に現場に戻るために多くが一旦家や学校や職場に戻っていた。そこで、このニュース速報に触れたのである。その瞬間、市民たちは判断が甘かったことを悟った。そして、同時に現場に居残った友人たちの安否に思いを馳せたのである。


 18日午後3時、国軍兵士がM16自動小銃を空に向けて威嚇射撃しながら、パンファー橋からラーチャダムヌーン通りに残っていた市民たちの“クリア”を開始、逃げ遅れた市民を路上に伏せさせて拘束した。


 国軍は前夜の市民に対する無差別発砲で彼らがちりじりになって逃げ出すと読んでいたが見事に外れ、内部に動揺が起きていたはずである。その追い詰められた国軍が選んだ第二の強硬手段が、昼間、注視の中での指導者逮捕というシナリオだったのであろう。


 その評価は別として、スチンダー首相退陣・民主化要求運動指導者の“実質的”中心であるジャムロン前バンコク知事は、同日午後3時10分に憲兵によって逮捕された。そのとき彼はパンファー橋から約150メートルほど離れた所のラーチャダムヌーン通りの路上に座り込んで会議中で、周囲で取材中だったマスコミのカメラなどがその生々しい逮捕の様子を記録している。国軍は、疲れた市民が現場を離れて手薄になっているときを狙うしか、指導者逮捕のチャンスがないことを悟っていた。そのためには、海外マスコミにその様子を注視されているというマイナス面になどかまっていられなかった、といえる。ジャムロンを逮捕し、市民の一部を連行することで、首相退陣・民主化要求運動参加の市民たちを恐れさせ、それを一挙に解体にもちこもうというのが国軍の腹だったのだ。



 再び現場に戻ったとき、国軍兵士がラーチャダムヌーン通りやパンファー橋に通じる道路を封鎖、市民たちがそこに入ることを阻止していた。“クリア”現場のパンファー橋前交差点に一番近いマハーチャイ通りでは、群青色とカーキ色の迷彩服の一目で精鋭とわかる陸軍部隊が封鎖にあたっている。追い散らされてきた市民たちがバリケードのこちら側から罵声を飛ばすが、顔色ひとつ変えない。


 しかし、商店街があり、バンコク都庁舎の脇から民主記念塔に通じるディンソー通りでの封鎖任務にあたっていたのは、今回の市民弾圧に与みした国軍の中では一番関与度が低い海軍兵士。あのラクダ色の制服に身を包んだ兵士たちが、何となくおどおどした様子で座り込んでいた。つまり、“クリア”現場から離れるにしたがって、なぜか道路封鎖の強硬度が弱まっていたのである。


 そのディンソー通りにたむろしていた若者グループが、周囲の市民に呼び掛けている。


「王宮前広場へ行こう!、広場はまだ閉鎖されていない!」

 

 この言葉は、にわかには信じられなかった。“クリア”現場から離れるにつれ道路封鎖をしている国軍は陸軍精鋭部隊から海軍などに変わってきていてはいたが、ラーチャダムヌーン通りに至る道路は完全封鎖されているのが当然だと考えたからだ。王宮前広場が開いているということは、同通りの西端が開いているということになる……。もし、国軍が市民たちの再結集を完全に抑止したいのであれば、そんなことは有り得ないはずである。


 しかし、ディンソー通りから王宮前広場前交差点のロイヤル・ホテルに抜ける裏道には本当に兵士の影が見えず、誰にも誰何されることなく王宮前広場前に出た。ちょっと、いやな感じがする。国軍はまだ何か企んでいるのではないか? しかし、この数時間先、同ホテル前で繰り広げられる惨劇の酷さはまだ想像すらできなかった。

(つづく)


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