■静かな朝のつかの間の休戦
市民たちが立って国王賛歌を歌っている最中はなにも起こらなかった。しかし、歌い終わってわずか2−3秒後、市民たちがまだ起立したままでいるとき、さまに間髪を入れずに国軍兵士によるM16の乱射が始まったのである。18日未明の銃撃の中でもっとも激しく、またその時間も長かった。
その発砲が一段落した後、パンファー橋の向こうからスッと現れた消防車が市民の座り込み隊列の最前線周辺に放水するのが薄明かりの中に見えた。それも上から放水線を描いてシャワーをかけるような、ほんの申し訳程度の放水。これは市民たちにも、居合わせた多くの外国人ジャーナリストの目にも不可解なものに映った。さっきまで実弾で市民の隊列をなぎ倒していながら、その後で鎮圧のためともつかない中途半端な放水・・・まるで順序が逆ではないのか、と。
国軍からの発砲の気配がなくなると、ラーチャダムヌーン通りに前夜から座り込んでいた市民たちは、現実的な問題を解決しなくてはいけなかった。朝のトイレの問題もそのひとつである。ラーチャダムヌーン通りは、東京で例えると虎ノ門から霞ヶ関にかけてのあたりの、会社・官公庁の密集地帯であり、表通りには民家や商店が少ない。月曜である18日の早朝にトイレを貸してくれそうなのは、パンファー橋から200メートルほど離れたマジェスティック・ホテルだけであった。。
しかし、同ホテルは前日17日夜から正面玄関を閉じてしまい、ホテルの宿泊客だけをチェックして入れるようにしていた。つまり、ホテルの前の道路に座り込んでいた市民たちが、休憩をしたりトイレを使ったりするのを嫌っていたのである。しかし、このホテルの従業員たちは、多分オーナーには内緒で、市民たちに裏手の従業員用のトイレを提供してくれた。これには感謝したい。男性はどうにか駐車場の植え込みの中ですませることができるが、女性はそういうわけにはいかないからだ。
数少ない公衆電話は長蛇の列なので、携帯電話を持っている人に頼み込んで、自宅や職場に電話を入れる市民たちが目についた。当日は月曜日であり、皮肉にも非常事態宣言が出ていて休校が決まっていた生徒たちを除けば、本来は職場か大学などに行かなければならない日なのである。「今日は休むよ」、電話に向かってそう言っている市民もいた。家族や友人にかけて、座り込みへの参加を促す人もいた。「今ここで引いてしまえば負けだ」・・・そういった雰囲気が朝までラーチャダムヌーン通りに座り込んでいた市民にはあったろう。
完全に朝の光を浴び、明るくなったパンファー橋の最前線には、国軍兵士たちの代わりに国境警備警察隊員が銃を持たないで座っていた。近くで国軍の現場レベルの責任者らしい無帽の将校と、首相退陣・民主化要求の市民の代表たちが話をしている。双方とも、緊張している感じはない。「休戦」・・・この光景を見ていると、ほんの2−3時間前、ここで国軍兵士と市民が対峙し、発砲により多くの市民が死傷したとは思えない。正直にいって、外国人としてはやや理解しにくい光景でもある。橋の上には装甲車が数台止まったまま。その機銃から、いつまた強化合金の銃弾が飛び出してくるかわからないというのに・・・。
明るくなり行き交う人々が誰だか分かるようになったおかげで、知り合いのジャーナリストやNGO関係者に会え、前夜から未明にかけて起こった事実関係についての情報交換をすることができた。取材用カメラを取られてしまったある日本人フリー・カメラマンは、半ズボンにコンパクト・カメラという出で立ち。この格好なら、国軍も観光客と思って乱暴はしないだろうと言う計算である。
この雰囲気なら「休戦」は再び人が多くなる夕方まで続くだろうと思って、ラーチャダムヌーン通りを離れた、しかし、これは甘かった。午後の仮眠中、もうろうとした意識の中で、ラジオが言っている。
「暴徒の首謀者ジャムロンを逮捕!」
(つづく)