■未明の赤い曳光弾(2)
曳光弾というのは、本来、夜間の戦闘において兵士が自分の撃った弾丸がどこに着弾しているかを確認しやすいように、何発かごとに1発づつ機関銃の弾倉に仕組まれている弾丸である。いわゆる、闇撃ちを防ぐために開発されたもの。実弾だが通常赤い光を曳くため、敵に自分の所在を知らせることにもなるので、使用は最小限にとどめるのが普通である。
しかし、世界の頻発している市民戦争、つまり内戦では、それが威嚇用に使われることもある。赤い光を曳いて飛ぶ弾丸は、非力な撃たれる側に大変な恐怖を与えられるからである。スチンダー首相の退陣を要求し、民主化を叫ぶ市民と国軍が対立した今回の“5月の惨劇”で、兵士が最初に発砲したのはこの曳光弾だった。
後日の軍部の追求の中でこの時の“ナー・ドゥーン(前進命令)”は『パイレー・ピナート(敵殲滅)』という作戦名が付けられていたことが明らかになった。作戦着手段階でこの常識を逸脱した時代錯誤の行動にゴー・サインが出ていたことを知るものは、スチンダー首相と彼を取り巻く軍部のごく一部の人間に限られていたはずである。
午前4時20分、赤い曳光弾が市民の頭上をかすめたとき、宣伝カーの上でしゃべっていた指導者は「モープ(伏せろ)!」と叫ぶ余裕もなかった。それほど、突然の発砲であった。頭上の赤い光の筋を見た市民たちがアスファルトの路面に突っ伏すと、今度は乾いたM16と思われる自動小銃の連射音。朝の冷えたアスファルトに、皆が自分の体を押しつけている。
顔を上げると、自動小銃の音は宣伝カーの裏から、つまり100メートルほど先のパンファー橋の上から撃ち込まれているようだ。ちょうど大型PAを搭載した市民デモ隊のトラックが橋の手前の交差点の真ん中に止まっていたので、橋はその陰になってよく見えない。 近くで伏せている誰かが、「空砲かなのか?」とつぶやくのが聞こえる。それほど乾いた軽い音なのだが、それがかえって不気味だ。ベトナム戦争中期に登場した高性能の自動小銃M16はNATO軍標準採用兵器であり、国内“暴動”鎮圧などを想定して威嚇用のラバー・ブレット(ゴム弾)も発射できる構造になっている。だが、“5月の惨劇”では、空砲も、このラバー・ブレットも使われなかった。むろん後にわかったことだが、ラーチャダムヌーン通りに座り込んでいた無抵抗の市民に対して使われたのは、数100メートルまでの距離なら充分な殺傷能力をもつ鋭利な強化合金製の実弾のみである。
銃声が止むと、市民たちは路面から立ち上がり、「ワーッ」という喚声を上げる。そして、また銃撃、一斉に伏せる。これが数回くり返された。宣伝カーの指導者も「立ち上がって逃げると危険、そのまま座り込んでいれば安全だ」と叫び、銃撃が始まると「モープ!」と叫ぶ余裕が出てきた。
しかし、ラーチャダムヌーン通りに座り込んでいる市民の波をかき分けて、負傷者がパンファー橋のほうから運ばれてくるのを見て、誰もが緊張の色を隠せない。これで、国軍の発砲は空に向けての威嚇射撃ではないか、という淡い“期待”も消し飛んだからだ。ここから100メートルの“最前線”では、市民が国軍兵士の水平射撃によってなぎ倒され、すでに数多くの死傷者が出ていたのである。
(つづく)