バンコク・ドキュメント

 惨劇と化した5月の3日間 (第14回)

 

 


■ナーンルーン警察署炎上をめぐるミステリー(2)

 ナーンルーン警察署炎上事件には、炎上時間の当局発表と実際の食い違いや、制服を脱いだTシャツ姿の警察署員たちの妙な脱出行動劇など、ミステリー性が大きいことは前述した。

 そして、前述した『サイアム・ラット』紙記者ら、ごく少数のそれを垣間見た人間の報告によると、同警察署の炎上を待っていたように、国軍部隊がパンファー橋周辺をクリヤーするためにラーチャダムヌーン・ノーク通り(外ラーチャダムヌーン通り)に厚く配備され始めていく。結果的に、その国軍部隊が18日午前4時過ぎに座り込んでいた市民に対して無差別発砲をしかけていく訳であり、ナーンルーン警察署炎上事件がそれを“正当化するための強力な判断材料”として使われた。その意味でこの警察署炎上事件の経過は重要であるので、目撃者の手記などを参考に、その時間帯の状況をもう少し詳しく見てみたい。


 当局の発表によればとっくにナーンルーン警察署が炎上してしまっていた18日午前2時20分、同警察署ロビーで王と王妃の写真を取り外している若者たちが写っている写真の存在は前述した。この写真は本当の炎上時間を推測する上に重要であると同時に、そこにいた人間たちがデモの先頭にそれらを掲げるために、もしくは国王と王妃の写真を炎上から守るため、取り外している余裕が少なくてもそのときにあった、ということを示している。同警察署周辺で市民と警官隊が深刻な対峙をしていれば、このような余裕はないはずである。いい方を変えれば、ナーンルーン警察署と向かいの農林農協省にはさまれた一帯は、往来が自由ないわゆる“解放区”になっていた、あるいは意図的にそうされていたということだ。


 また、そのころは、17日午後9時すぎから18日午前零時前後にかけてパンファー橋で起きた市民と警官隊の直接対峙の興奮も収まり、指導者たちが戻ってくるように呼びかけていたので、ほとんどの市民が同橋西側に座り込んでいた。橋上のバリケードもなく行き来は自由だったが、東側のラーチャダムヌーン・ノーク通りのこの“解放区”に新たに入っていく人はごく限られていたといえる。そのために、この“解放区”があった時間にそこで起こったことを目撃した人間は少ない。


 俯瞰すると、ラーチャダムヌーン・ノーク通りのナーンルーン警察署と農林農協省にはさまれた地帯は、“盲腸”のようにパンファー橋から飛び出していることがわかる。そして、その“盲腸”にはナコンサワン通りのような“穴”がいくつかあり、警備をする当局側にすれば都合の悪い場所である。最初の衝突の場所、“盲腸”の付け根のパンファー橋を完全封鎖するのが、もっとも完璧かつ安易な警備方法なはずである。

 しかし、橋上のバリケードをはさんで激しい応酬や消防車への放火などがあったときはいざ知らず、その興奮が収まってからナーンルーン警察署が炎上するまでの数時間、当局はこの“盲腸”部分を“解放区”のままにさせておいた。そして、そこの“盲腸”の中にいた市民(その中には“ムー・ティー・サーム”−−“当事者同士ではない何者か”がいた可能性が十分あるが)の数はそんなに多くないのに、後で国軍が配備に付くまで、彼らをパンファー橋まで追い返そうと努力しなかったのはなぜか?


 これは大きな疑問である。同じような疑問は、後の18日夜から19日未明にかけてのロイヤル・ホテル前での市民と軍部の大衝突(後述)でもいえた。つまり、当局側は“盲腸”に市民が残れるような状況にしておき、その後で弾圧するというやり方。“罠”に近いやり方ではないか、という疑問である。ナーン・ルーン警察署の炎上は、そのような状況の中で起こった事件なのだ。

 また、前述のように、同警察署が炎上する前にその中に残っていた警察署員が制服を脱ぎ、そっと抜け出した訳であるが、そうすると彼らは警備が空白になっている“解放区”の中にしばらく取り残されていたことになる。これもまた、実に不思議なことだ。どこの国でも官憲というものは仲間意識が強く、仲間を置き去りにすることはない。もし、“危険”がせまっているのなら、警備の警官隊は引くときに同警察署員も一緒に撤退させるはずだろうだからだ。

 そして、その警察署員たちが立ち去ると、障害のなくなった市民たち(彼らが誰だったのかは後述)が同署の中に飛び込み、破壊活動を始めたといわれている。前述の同署ロビーで撮られた写真は、その直後のものだろう。

 ある者が警察署の携帯無線機を奪おうとすると、「俺たちは独裁を粉砕するために来たので、泥棒ではない」と止めに入る者もいたと、前述の『サイアム・ラット』紙記者は手記に書いている。また、男が5〜6人飛び込んで来て、「まず拘留者を逃がさなきゃいかん」と叫んでいたという。実際、ナーンルーン警察署に当時拘留されていた31人の被疑者は、これも不思議なことに事前に釈放されており、彼らは徒労に終わった訳であるが……。

 また、15才に満たない少年がAK自動ライフルを同警察署から担いでもって行ったり、オートバイに乗った若者が「燃やすためのガソリン代を買いに行くのでカンパして欲しい」といってきた、とその記者はそのときの混乱ぶりを思い出している。しかし、その混乱を収拾し、市民を制圧するための警官隊がそこに突入することはなかった。



(つづく)


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