■“ムー・ティー・サーム”をめぐる混乱
ジャムロンらが乗り、スチンダー首相退陣要求する市民のデモ隊列の先頭にいた宣伝カーの拡声器が貧弱だったことは、前述した。彼や『民主主義連合』の指導者がその車の上に乗り、マイクをとって座り込んでいる市民に話しているのだが、周囲の雑音に掻き消され、車から100メートル離れると何をいっているのか聞こえない。座り込んだ市民たちは思い思いに歓声を上げ、空になった飲料水のプラスチック瓶をアスファルト路面に叩きつけて気勢を上げているので、余計である。
数時間前に王宮前広場集会のステージでも歌を歌った人気歌手エット・カラバウがこの宣伝カーの上に乗り、ギターを掻き鳴らしているのが見える。だが、貧弱な拡声器のせいで彼の歌声はまるで聞こえてこない。まるで、ジェスチャー・ゲームを見ているようであった。座り込んでいる市民に聞こえるのは、歓声、プラスチック瓶が路面を叩く音、そしてパンファー橋の向こうで炎上中の消防車他のタンクが時々爆発する鈍い音だけだったのである。
そのころ、『民主主義連合』世話人の一人、プラティープ元『ドゥアン・プラティープ財団』理事が、民主記念塔の方から市民が座り込んでいる中を歩いてくるのが見えた。先ほどまでの王宮前広場集会に世話人として最後までそこに残り、最後尾の部分の市民を見守っていた彼女が、市民が座り込んでいる一番の先頭で何が起きているのかをその目で確認しに来たようだった。手をつないだボランティアに囲まれるようにして歩いてきた彼女がパンファー橋の方に去り、再び戻って来たとき、彼女の顔は非常に驚き疲れているように見えた。
そのときは、約20万人という多くの市民が王宮前広場からパンファー橋まで、1キロメートル近くに渡ってラーチャダムヌーン通りを埋めつくしている。その先頭と後尾の部分では、市民に伝わっている情報がまるで違っていた。とくに、集会の司会者が「市民の先頭部分は首相官邸前まで無事到着しています」という誤認情報を聞いてから王宮前広場からフランス・デモに出た最後尾の市民たちの何人が、ずっと先にあるパンファー橋の向こうで消防車が炎上するような事態に至っていたことを想像できただろうか。彼らが仮に前に進むことができ、パンファー橋の向こうの事態を垣間見ていたら、全員、プラティープ『民主主義連合』世話人と同じような驚きの表情を見せたのではないかと思われるのだ。
17日午後11時30分、全テレビ局が一斉に、
「ジャムロンらが率いる暴徒が消防車を炎上させ、パンファー橋周辺を混乱させているため、当局は放水で対処している」
と報じた。恐らく、陸軍営5チャンネルが製作したものを、軍部が全局に流すように命じたものと思われる。これ以降、電波メディアが頻繁にスチンダー首相退陣要求市民運動に対しての誹謗と警告を行うようになるが、そのほとんどが軍部と直結している5チャンネルによって制作されていたからだ。
一方、このテレビ全局の一斉放送があった前後、ジャムロンら指導者は、宣伝カーの貧弱な拡声器で「“ムー・ティー・サーム”の挑発に乗るな」と繰り返して叫んでいた。“ムー・ティー・サーム”とは、英語の“サード・ハンド”からの直訳でタイ語化している「当事者同士ではない何者か」という言葉である。
ジャムロンら『民主主義連合』指導者たちやパランタム党指導者らが、パンファー橋の向こうで消防車が炎上する事態に対し、橋手前に参集していた市民たちに「橋の向こうに行くな、座れ」にしきりに呼びかけていたことは前述した。しかし、そのときは貧弱な拡声器のせいもあり、宣伝カーのそばにいた市民でも、すでにそのときから“ムー・ティー・サーム”という言葉を使われているのに気がつかなかった人が多い。後日、タイ語新聞をこの“ムー・ティー・サーム”という言葉が賑わしたときも、新聞側の使った“解説用語”として受け取られた感がある。ジャムロンたちが、パンファー橋の向こうで“衝突”が発生したその時点からこの言葉を繰り返し使っていたということがわかったのは、宣伝カーの近くで撮られたビデオ記録を見てからである。
つまり、スチンダー首相退陣要求でラーチャダムヌーン通りを埋めていた約20万の市民の多くが、17日深夜の段階では“ムー・ティー・サーム”の存在を意識していなかった。これが、零時を過ぎ、18日に入ってから発生したナーン・ルーン警察署炎上事件をミステリー化する要因ともなったのである。
(つづく)