■騒然!、パンファー橋周辺(続き)
パンファー橋の下の運河から市民消防隊の小型ポンプが水を汲んで、炎上している消防車の火を消すために放水すると、同橋の手前で留まり座り込んでいた市民たちからは拍手があがった。このことは、指導者の指揮にしたがって橋の手前で座り込んでいた市民の多くは、橋の向こうで一部の人々が車に火をつけたりして騒いでいることを批判的に見ていたことの証左であろう。
「せっかく、ここまで暴力なしでやってきたのに」、という声が多かった。スチンダー首相の退陣を要求している市民を“暴徒”と決めつける同首相のメッセージを常に流していた電波メディアにとって、このような光景はまさに“待ってました”という感じだからである。また、情報が口コミで伝わるバンコク首都圏周辺はとにかく、農村などラジオやテレビしか情報源がない所では、それが真実として捉えられる危険性が大きいといえるからだ。
事実、陸軍経営の5チャンネルは、ジャムロンが宣伝カーの上で手を振ると、画面がスルリと切り替わって炎上した消防車が映るという幼稚な編集の映像を流していた(電波メディアはその偏向放送を市民から批判されていたので、現場では私服のスタッフが家庭用ビデオ機器で気付かれないように撮っていた)。
橋の手前で整然と座り込んでいる首相退陣要求の市民と、向こう側で炎上する消防車。橋をはさんで、まったく違うこのふたつ状況に、やや当惑したことは事実。現場に居合わせていなかった人に、この不思議な雰囲気を100%伝えることはむずかしい気がする。また、座り込んでいた市民でもパンファー橋から100メートルほど離れてしまうともう炎上している車は見ることができないから、何が起こっているのか知らない人がほとんどであった。
前述した17日夜の最初の衝突の経緯を始め、パンファー橋周辺で起きた混乱の時間的経緯がはっきりしたのは、後になって市民が撮ったビデオ映像、報道機関から流れてきたそのときは放送不可能だったビデオ映像(後日に売られていた“5月の惨劇”のビデオの中にはこれを使ったものが多い)、目撃者の話などを総合できてからである。
■警官隊、“実力行使”開始
時間的に前後するが、もう一度、最初の衝突から消防車などが炎上した時点まで何が起こったのかを、事後に得た情報も加味して整理してみる。
前述のパンファー橋で最初の若者グループと警官隊の衝突が起こった後、消防車からの放水によって一旦は引いていた市民の一部がバリケードを再び崩しにかかり、とうとうパンファー橋に入った。このとき、橋上で警備していた警官隊はバリケードを押し退けた市民の気勢に戦き、北ラーチャダムヌーン通りの農林農協省前までかけるようにして後退。橋上に入った市民の一部は消防車を占拠、運転したり、放水をしたりした。
しかし、この状態は長く続かず、再びパンファー橋を制圧にしてきた武装警官隊が消防車を包囲、上に乗っていた市民を引きずり下ろし、警棒で乱打した。
『ネーション』紙のカメラマンが撮って反響を呼んだ、頭を抱え込んで座り込んでいる無抵抗の市民に警官が警棒と傘で殴りかかっている写真は、このときのもの。この警棒による乱打で負傷した市民は後に死亡したという情報もあるが、確認はできていない。しかし、このときの乱打は首相退陣要求の市民に対して警官隊が行った初めての激しい“実力行使”であり、その様を間近で見ていた市民の大きな怒りを買う発火となった。この後、怒った市民たちの一部が再びバリケードを突破、消防車などに火がつけられる混乱に発展していくのである。
(つづく)