■騒然!、パンファー橋周辺
17日、パンファー橋での最初の衝突は午後9時40分前後に発生している。最初にオートバイ3台に乗った若者が、警官隊のブロックを破ろうと突入したが失敗。もうひとつのグループが鉄条網を外しにかかり、警備の警官隊に瓶が投げられ始めた所で、パンファー橋に停めてあった消防車7台が放水を始めた、といわれている。
しかし、この最初の衝突があったとき、ジャムロンが先導して王宮前広場を最初に出たデモ隊はパンファー橋には達していない。まだ民主記念塔を過ぎたあたりにいた。つまり、当夜の最初の衝突は、ジャムロンの先導する17日集会のデモ隊の先発部隊より先に同橋周辺に集まっていた「市民たち」と警官隊との間で起こったのである。
17日の集会場である王宮前広場を三々五々に出た市民のデモ隊は、混雑している狭いロイヤル・ホテル前交差点から広いラチャダムヌーン通りに出た所で横に拡散し、自然とフランス・デモのスタイルをとった。交通は実質的に遮断されており、道幅50メートル以上ある同通りに市民が一杯に広がりデモ行進をしていたのである。家族で1台のオートバイに乗ってデモに参加している市民も数多くいた。デモ行進中の市民の雰囲気は、この先での警官隊との対峙など予想してない明るいものだった。
王宮前広場から出たデモ隊の先頭周辺にいるジャムロンが乗る宣伝カーの拡声器は貧弱なもので、周囲の人々の興奮した歓声にそれがかき消されれてしまっていた。この車から100メートル離れただけで、デモ隊の先頭集団を仕切っているはずの彼が何を言っているのか聞こえなくなる状態。言い換えれば、ラチャダムヌーン通りは人々で埋めつくされており、100メートル以上離れている所で何が起きているか、直接見ることができなければ皆目見当がつかない状態だった。つまり、当夜のフランス・デモの市民の波は、別に先頭の宣伝カーに乗っていたジャムロンの指揮にしたがって動いていたのではない。今晩は首相府まで問題なく歩いていけそうだ、という市民たちの逸る気持ちが彼ら自身を前へ前へ進めていったといえる。
特に、王宮前広場でのスチンダー首相退陣要求集会を最後のほうまで聞き、それからデモに出た人々には、パンファー橋での衝突についての情報がまるで伝わっていなかった。フランス・デモの人波が民主記念塔の周辺に来ると急に速度が鈍り、それではじめて前にいるデモ隊の先頭部分の市民が先で留まっているらしいとわかったのである。さらにのろのろ進み、パンファー橋まで300メートルほどの所でストップ。同橋周辺に目を凝らしても、人波が留まっているのが見えるだけで、その先で何が起こっているかはわからない。
民主記念塔方向からラチャダムヌーン通りをパンファー橋に向かうと、下の運河の水面との空間を維持するために盛り上げた構造になっている同橋の向こうは見通すことができないからである。そこで留まっている市民の波の中にジャムロンが乗っているらしい宣伝カーが一台が止まっているのが見えるが、その拡声器の声は前述の理由でまるで聞こえない。「また警官隊に止められたのか?」と周囲で声があがるが、誰も確認できないまま、市民たちは徐々に路上に座り込んでいった。
何が先で起きているのかわからないまましばらく座り込んでいると、ドカーンという鈍い断続的な爆発音。一瞬、国軍か警官隊の威嚇射撃かと思ったが、ライフルの音がこんなに鈍いはずはない。パンファー橋手前で座り込んでいるデモ隊先頭の市民たちも、射撃を避けるために路上に伏せているような動きはない。このままでは、何が先で起きているのかわからない……。意を決して、デモ隊の最先頭部分、そしてパンファー橋の向こうをのぞきに行くことにした。
たった300メートルほどだが、歩道までびっしりと市民が座り込んでいるので、まず宣伝カーの拡声器の音が聞こえる100メートル以内に近づくのが大変。やっと拡声器の声が聞こえ、「橋の向こうに行った人、今すぐに帰ってきなさい」と絶叫しているだということがわかった。パンファー橋の向こうから聞こえるドカーンという音が、より連続的になってきている。
どうにか一番密に座り込んでいるデモ隊の最先頭部分を抜け、パンファー橋の袂に立ったとき、その向こうの光景に唖然とした。あるはずの鉄条網は壊され、デモ隊制圧用らしい消防車が燃えていたからである。橋を渡って向こう側にいくと、警察の幌付きピックアップらしき車両も燃やされているのがわかった。その周辺に投石をしている人々が、進退を繰り返している。石が投げられていくその先の暗がりに恐らく国軍か警官隊がいるのだろうが、よく見えない。ドカーンという爆発音は、燃やされた車両のタンクが爆発している音だったのである。
(つづく)