バンコク・ドキュメント

 惨劇と化した5月の3日間 (第8回)

 

 


■20万人の大デモ出発

 17日夜9時少し前。立錐の余地もない王宮前広場では、肩と肩とを擦らないと行き来ができないほど。甲子園球場ほどの中に約20万人の市民がいるのだ。夜7時ごろにこのピーク人数に達しているのだが、その後、人々の数は一向に減らない。いつもなら翌日月曜日の仕事のためにそろそろ引き上げて行く人が増える時間帯なのにである……。

 『サマパン・プラチャーティッパタイ=民主主義連合』と大きく横断幕がかかった中央ステージ。この上の人物の顔を見分けられる距離まで近づくのが難しい。あきらめて拡声器の近くに陣取る。王宮前広場の環状遊歩道も、物売りの屋台と行き交う人々で、足の踏み場もない。

 人垣の後ろから首を出して、どうにか中央ステージの様子をうかがっていると、「アンケート調査にご協力を」と後ろから声をかけられる。タイ社会学協会が今回の運動参加者層について分析をするために、データ収集を行っているのだという。同協会はきちんとした団体だと知っていたので、タイ人でなくてもいいかと断った上で、アンケートに答えた。質問項目は、この5月のこのような混乱状態にあって、どのマスコミ媒体を信用するか、首相退陣要求運動の集会は何回ぐらい来ているか、また月収はどのくらいか、といった類のものである。

 信用できる報道を行っているマスコミについてあらかじめ挙げられた名前に○×をつける項ではひとつだけ個人名があり(他は新聞社名やテレビ局名)、それがリベラル派で知られる『ネーション』紙主筆で経営者、最近はテレビ・キャスターでもあるスティチャイ・ユンだったのには多少苦笑した。FM放送ジョー・ソー100メガヘルツのキャスターであるソムキャットが先日の首相退陣要求運動の報道でミソをつけなければ、スティチャイよりははるかにタイの人々にとってポピュラーな彼の名前がここにあったかもしれないからである。スティチャイはインテリ都会人好みだ。

 そのタイ社会学協会の調査員が周囲の参加者に質問しているのを、盗み聞く。ある若い夫婦の参加者は1970年代の学生革命の経験世代で、答えた収入額から判断すると生活レベルはタイ人一般に較べてきわめて高い。最低賃金と比較すれば夫婦でその10倍以上の収入がある。スチンダー首相退陣要求運動が『ミドルクラス・リボルト』と海外の雑誌に形容されることになった立役者、タイの『団塊の世代』の人々が彼らだ。



 午後9時少しすぎ、中央ステージに『民主主義連合』の7人の世話人が登壇した。さっきまで王宮前広場の中央ステージの反対側で独自集会を開いていたジャムロンもちゃんといる。スチンダー首相退陣要求運動に集まった市民の前で『民主主義連合』世話人が勢ぞろいするのは初めてのこと。司会者が、世話人の一人で妊娠中のプラティープ元ドゥアン・プラティープ財団理事に労いの言葉をかけていた。

 世話人の中で最初に口火を切ったのは、やはりジャムロン。夕方からの独自集会から中央ステージまで、疲れを知らない彼の饒舌ぶりには舌を巻く。次に世話人の一人ウェーン医師が出て、あくまでも平和的手段で闘おうと市民に呼びかけ、スチンダー首相に辞任を催促するために集会後に参加者全員が首相官邸までデモをする計画をそこで明らかにした。

 これを聞いて驚いた人が多い。一週間先の5月23日には国会内で与野党が「首相は選挙で選ばれた下院議員から」他の憲法改正に合意する見通しで、それまではデモなど警官隊や国軍と対峙する可能性のある行動を退陣要求運動側は避けるだろうと考えた人が多かったからだ。それに、20万人という人数が一気にデモに出たら、どんなに気を配っても何らかの混乱が起きる、と危惧する人たちが多かったことも事実。

 確かに主催者『民主主義連合』も、20万人もの参加者が一度に王宮前広場を出て首相官邸に向かうことはやはり危険と考えていた。よって、まず王宮前広場の法務省寄りに固まってジャムロンの独自集会を聞いていた市民たちのグループを彼の先導で一番先に出すことにし、それを壇上から指示した。そして、その集団が安全にパンファー橋を渡ったという報せが入ってから、中央ステージ前に座ってる市民たちをさみだれ式にフランス・デモに送り出すという戦術である。

 ジャムロンの乗った宣伝カーが法務省前からラーチャダムヌーン通りに入り、それに多数の市民が付いて行くのが見える。しかし、王宮前広場の集会に参加している人々の数は、それぐらいではなかなか減らない。それにデモ隊に合流しようとしても、出口のロイヤル・ホテル前交差点が人波で渋滞、先に進めない状態であったからだ。

 ジャムロンが先導した最初のデモ隊が王宮前広場を出て1時間くらいたったころ、集会を離れ、デモの人波に合流することにした。中央ステージの司会者が、「先頭の部隊はもう首相官邸近くに着いていて、今日は警官隊の邪魔もなく、楽に歩けます」といったからである。

 しかし、その発言は事実と違っていた。それがわかったのは後でパンファー橋まで行ってみてから。事実は、そのころ同橋周辺で8日に続いて再度の市民と警官隊との間で小競り合いが起き、それがよりエスカレートする段階までいっていたのである。


(つづく)


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