■ラーチャダムヌーン通り座り込みと国会内交渉
5月8日夜、ジャムロン前バンコク知事を乗せた車がパーンファー橋にさしかかったのは、午後9時10分ごろ。直後に警官隊に行く手を阻まれ、ジャムロンと一緒に歩いて来た市民の先頭部分と小競り合いが起きた。このときジャムロンが宣伝カーの上に乗り、ハンスト突入以来4日ぶりに口を開いた。彼の新士官学校第7期同期生であるタヌー警察中佐に対しての呼びかけで、この事態を速やかに解決し、市民の隊列をラーマIV世騎馬像前広場に行かせろ、という内容である。
続いて、ジャムロンの個人スポークスマンになったプラソン元国家安全評議会事務局長が宣伝カーの上に乗り、市民に平和的行動を訴えた。だが、市民、とくに学生グループにはこんな光景が出現するとは思っていなかったに違いない。
プラソンは過去、元日貨排斥運動の学生リーダーで現在は若手社会学者であるティラユットがプレム元首相を批判したとき、大学に圧力をかけ彼の追い出しを画策するなど、市民運動や学生運動にとっては一貫して弾圧する側の人間であったからだ。市民たちはプラソンにブーイングこそしなかったものの、ジャムロンが演説しているときのような賛意を示す歓声が起きない。
午後8時すぎにジャムロンが先頭となって王宮前広場を出たのは、後日そこが国王臨席のプーチャモンコン(始耕祭)に使われるので、と彼が主張したからだといわれている。しかし、前回の国会前から王宮前広場での移動もジャムロンが半ば勝手に移動を開始しており、混乱を極力さける方針の『民主主義キャンペーン委員会』の指導者コートム・チュラーロンコン大学工学部教授らはジャムロンの2度目の勝手な行動に批判的であった。
午後9時40分、ジャムロンと彼について行った市民が警官隊と対峙していることが、王宮前広場の会場ステージで伝えられる。パランタム党議員はジャムロンの後を追うように市民に呼びかけたが、対照的にコートムおよびパリンヤー『タイ学生評議会』議長は、混乱を避けるために市民は王宮前広場に残って集会を続けるように訴えた。
この意見の違いを千載一遇のチャンスと、偏向したテレビ・ラジオの電波メディアは、「学生グループはスチンダー首相退陣要求から手を引いた」と報道した。8日の段階では、電波メディアの偏向放送にまだ気がついていない市民の多く、「これで負けたんだ」という感想の人も多かった。
8日の夜遅くなっても、ジャムロンの饒舌は止まらなかった。「バンコクで一番交通量の多いパンファー橋交差点を明朝まで閉鎖したらどうなるか、タヌー、君にはわかるか」と、昔の同僚にしつこく呼びかける。このころ、ジャムロンと市民が座り込んでいるパンファー橋の周囲にはEMC(装甲車)が20台ほど配置され、武装した兵士の数がどんどんと増えていた。深夜、陸軍経営の7チャンネルは、人気歌手ティッパワンらをレポーターに立ててパンファー橋の裏側(警察・国軍の警備している側)から生放送。彼女らに「スチンダー首相は正規に選ばれた首相」と叫ばせ、退陣要求の市民に帰宅を促せさせた。『マティチョン』紙は、この放送はスチンダー夫人ワンニーの立案、という同局のコメントを載せている。
深夜零時近く、王宮前広場に残って集会をしていた『タイ学生評議会』グループも参加者の希望に応えるという形で、パンファー橋側に座り込んでいる市民に合流することを決定。しかし当夜は険悪な対立はなく、多くの市民が路上で夜を明かし、翌9日朝を迎える。
8日は、国会の中の動きもまた急であった。まず与党5党党首が午前中に会合し、「首相は選挙によって選ばれた下院議員から」他、改憲に基本的に合意したと発表した。しかし、国会解散とスチンダー首相の退陣についてはお茶を濁した。与党としてはもう一回の選挙を戦う軍資金はなく、改憲後も暫定処置でスチンダーを首相の座に留めておくことは可能、と読んでの妥協であろう。
一方、野党議員から同じく野党議員のジャムロンを堂々と批判する人物も現れた。新希望党ロイエット県選出のスラポン議員らで、ジャムロンの実力行使をともなった運動の行き過ぎを批判し、野党が続けている改憲への与党巻き込みの努力を彼も評価すべきだと訴えた。新希望党チャワリット党首や民主党チュワン党首も同じように感じていたと思われるが、彼らはジャムロンのハンストを止めさせることを引換え条件に与党と交渉を有利なものにしようと画策していたので、口に出して彼を批判することはなかった。いずれにせよこの日、与野党は政治的相殺の根回しに明け暮れていたのである。
果たして、翌9日朝、ジャムロンはハンストを中止する。7チャンネル他の電波メディアは待ってましたとばかりに、彼が食事−−バナナ・スープをとるシーンを放送。首都圏治安維持本部は午前10時30分に、ジャムロンのハンスト中止は平和的手段に戻ったことを意味し歓迎する、というコメントを早速テレビを通じて放送した。続けて、カセート国軍最高司令官が国内治安維持本部司令官として、スチンダー首相も改憲に反対はしていない、とコメントする。
ジャムロンのハンスト中止で冷めると思われた市民の熱気、9日夜は8日夜以上の数の人々が民主記念塔前の集会に集い、逆にもっと熱くなった。人気歌手アリスマンまでかけつけ、スチンダー首相退陣要求歌を歌う。市民側にはかすかな勝利感が漂っていた。
(つづく)